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きょうのことば 第15集 2006上半期 The Words

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 ことばの使い方ひとつで、ものごとがガラリと変わる。みんなはそう言っているけど、裏を返せばこんな意味なんじゃない? キレイごとは、なし。時事世相に「忍び足、のち急襲」でせまっていきたい。
 (「きょうのことば」は、「STIJNews」のワンコーナーです。ここでは過去のバックナンバーを収録しています。)

20060610号

「小泉劇場」的薄っぺら

◆近頃の凶悪犯罪者に思うこと。

◆彼らはテレビで映し出される、報じられることを期待して犯行に及んでいるのではなかろうか。罪を犯してから捕まるまでの間、ニュースショーやワイドショーに映る犯行現場やコメンテーターのいい加減な推理にほくそ笑みながら快感に浸っている。

◆なんといっても自分が罪を犯した場所がおどろおどろしいBGMに乗せて映し出された挙げ句に大仰なテロップが流されるのだ。リポーターが懇切丁寧に解説をし、有名芸能人や大学教授が講評をしてくれる。捕まったら捕まったで彼らの半生をドラマ仕立てで描いてくれる。

◆おそらく彼らが今まで生きてきた中でこれほど他人に注目されることなど絶対になかっただろう。彼らは罪を犯すことが目的なのではない。メディアに映し出され、ちやほやされることで自己の存在を証明し、過去に蓄積された怨念を晴らすことを最大目的としている。
何の怨念か。自己が疎外された怨念である。

◆そして彼らはテレビインタビューに答えるとき、決まって悲劇の役者を演じるのである。テレビ映りを気にしながら画面の向こうにいるお茶の間視聴者をはぐらかす。徹底的に悲劇の役者を演じればテレビに露出する可能性が高いことを過去に放送された事例を見て学習しているのだ。

◆ワイドショーやニュースショーが犯罪をより凶悪にさせている。暴論かもしれないが、一度こんな仮説を立てて研究してみたらどうか。ワイドショーやニュースショーにおける事件の取り上げ方は犯罪者のカタルシスでしかなく、犯罪の防止など微塵も寄与していない。

◆「報道ステーション」が犯罪者の卒業文集を映し出し、古舘某が「被害者の心情を察して」とコメントするたびに白々しさと次の凶悪犯罪の予備軍が生まれる。

◆これと全くもって同じなのがいわゆる「小泉劇場」だ。誰かを敵に回しては自分が改革者だと自己の正当性を執拗にアピールする。つねにテレビ映りを気にしては画面の向こうにいるお茶の間視聴者をはぐらかす。「A VS B」という対立図式の番組構成はいちばん作りやすく視聴率が取れるから、メディアが寄り付いてくることを学習しているのだ。
しかし肝心な中身はすべて宙ぶらりんである。

◆薄っぺらい自己主張のために公共の電波が使われ、薄っぺらい番組のネタに共感している。さらに薄っぺらい自己主張のために罪を犯して、他者そして自己の人生を潰し、国を潰す。

◆何もかも薄くなりすぎた。厚みと深みが欲しい今日この頃。

20060423号

あぶない「公開電子絵日記」

◆年ごろの女の子がこっそり日記をしたためる。いつの時代にも見られるのは不思議な現象だ。

◆急激に変化する自己の身体と心に対する不安とエネルギーを放出するために、あるいは自己を客観視しながらいま起きている事象を整理するために、日記帳の白い紙に文字で埋めていく。
数年後、「そんな些細なことで悩んでたのか」と恥ずかしげに見ることになる存在だが、それも自己の葛藤を紙にぶつけてきたゆえだと思うのだ。

◆一方、男の子ってのは自己の葛藤を日記にはぶつけないもので、もっぱら別の「白い紙」でごみ箱を埋めていくのである。下品だけれども事実なのだから仕方がない。

◆さて時代は変わり、今や日記帳は電子化されてインターネット上のサーバー間を行き交っている。人はそれを「Blog(ブログ)」と呼び、パソコンのキーボードや携帯電話の数字キーで文字を打ち込み、デジカメで撮った画像を並べて思い思いの日記をつけている。

◆ただ、紙の日記帳と違うのは、ネットに公開されている限り不特定多数の目に触れる点である。Blogは言うまでもなく「公開電子絵日記」である。当たり前の話だが、敢えて言う。

◆「公開電子絵日記」の書き手は、時にその日記が全世界に公開されているという「大前提」を忘れてしまうことがある。あるいはその「大前提」を逆手に取ることもあるだろうが、いずれも書いた内容があまりにも極私的になると、関係者だけでなく、書き手にも大きな影響を及ぼす。

◆長崎の小学生、岐阜の中学生…「公開電子絵日記」が発端で生命が奪われた例を見るたび胸が痛くなってくる。「内なるメディア」としてインターネットが使われたときの危うさについて、真剣に考える必要があるのではないか。

20060324号

予備校チラシの読み方

◆3月になって予備校や塾の折込チラシを頻繁に目にする。
折込チラシには難易度の高い大学名がこれでもかというほどの大きい文字で書かれ、こぞって合格者数をアピールしている。いわゆる難関校への合格率の高さイコール予備校・塾の指導力と言わんばかりだ。

◆チラシに印刷された満面の笑みを浮かべた合格者の写真を見てみる。
合格者の出身高校が目に止まる。
よく見ればこれまた難易度の高い、分かりやすく言えば偏差値の高い高校名ばかりが並んでいる。

何も予備校や塾に行かなくたって合格できたんじゃないの?
素人目にはこう思ってしまう。

◆聞くところによればいろいろなカラクリがあるようで、合格実績を高くアピールするために、ハナから学力があって合格可能性のある高校生を特待生と称して安い授業料で予備校や塾に入学させているのだそうだ。

◆もちろん受験に向けた指導は適切にやっているのだろうけれど、基礎学力ができ上がっている生徒には志望校別の問題傾向とその対策を次々に掴ませればあとは自力でやっていく。この場合、教えるのはそれほど苦労がなく、むしろ過去のデータから未来を予測しそれを提供する情報戦がカギになる。

◆すなわち、これらの広告から読めるのは「合格率の高さイコール受験情報の蓄積数」である。

◆しかし、木の芽が出始めたというのに受験情報という名の肥料を膨大に与えられて、消化しきれずに立ち枯れてしまう事例が数多くあることを認識しておく必要がある。合格者の数字に惑わされて選択を誤ってはいけない。

◆劇画「ドラゴン桜」ではないけれども、「中学生レベルの英語や数学がわからなかった生徒を難関校へ合格させた」ことをアピールする予備校や塾の方が真の意味で指導力が高いのではないかと個人的意見。

20060121号

ライブドアの同化主義に現在を見る

◆1月18日のいわゆるライブドアショック。いつかこの日は来ると思っていたが、個人投資家による「狼狽売り」の惨めさには正直、同情を禁じえない。あれほど他人に自己責任、自業自得を押し付けていたくせに。

◆ライブドア…もともとオリジナルの技術やサービスを持っている企業ではなかった。他企業や個人の作った製品やサービスに自社のカンムリ、いや、カツラ(ヅラ)をかぶせることで商売をしてきた典型的「ヅラ商法」である。

◆したらば、ねとらじ、Operaブラウザ、Skype、セシール、そしてJAC中古車センター。
単体でそれなりにやっていけるモノを囲い込んではヅラをかぶせてしまう。そのヅラが当人に似合うか似合わないかは別次元。地毛とヅラの境目がはっきり見えているのに、目立ちたがり屋のパフォーマンスによる「シナジー効果」で隠したフリをしていた。
地毛とヅラの境目の違和感にいち早く気付いたのは、これらの製品やサービスを以前からずっと使ってきたユーザーたちだ。

◆「ヘタなカツラをつけるなら、ハゲのままでいい」というスヴェンソンの名キャッチコピーをいま一度思い出してみたい。

◆ソフトバンクや楽天のやっていることに早く追い付き、そして追い越したい。
ベンチャー企業家なら誰でも考えることだが、やり方にどこか無理があった。

◆ライブドアのやり方は、棲む場所の異なる人を無理やり自分の棲む場所に押し込める「同化主義」そのものだ。目新しいことをやっているように見えて、根本思想は前近代的なのである。
ところで、同化主義の反対は多文化主義だが、インターネットビジネスで成功した企業群は大抵において「多文化主義」の考えを持っていることに気付く。

◆「きょうのことば20050828号・「ヲタク的政治」からの脱却」にも関連するが、グローバル化とか改革とか言いつつベクトルが内側へ強く向いてしまって、結局は井の中の蛙になってしまう事例が多々見受けられる。

◆今後も様々な事実が浮き彫りになってくるが、それらのいずれもが現在の巷に流れる空気を象徴する事件となるに違いない。

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