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夏の終り、青森に−1991 [その7]
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これは、1991年の8月21日から、弘前・青森・八戸を旅した記録の続編である。「旅の終わりは個室寝台」なんていうタイトルの本があったような…。

7・帰路への車内
〜青森行き普通列車で話したこと〜

 YHの搾りたての牛乳が飲める朝食も今日で最後だ。今日はYHを出て、特急寝台で帰るのだ。私のほかにもYHを出る人がいる。昨日、自転車を借りるときにいた、ヘルパーさんである。一ヶ月、このYHで仕事を手伝っていた方である。同じYHを出るといっても意味合いは全く異なる。

 ペアレントさん、サブペアレントさんとその奥さんに見送られるヘルパーさんを見たとき、月並みだが郷を離れていく子のようにも見えた。ヘルパーさんも向山駅まで行くと言うので、露天風呂に入って牧場の開拓の話をしてくれた牧場のオーナー、すなわちYHのペアレントさんの車に私も同乗して、向山の駅まで行く。

 機関車に引っぱられた青い客車には多くの高校生が乗っており、デッキまで立ち席になっている。ヘルパーさんの大きなザックは周りの生徒が見たら驚くだろう。
 次駅の三沢でどっと生徒が降りていった。車内は瞬間的にがらんどうになり、ボックス席を2人で占領する。ヘルパーさんはこれから、北海道に渡るという。初めて旅したのは高校2年の時でいきなり北海道を旅した。その当時、愛媛にいたので大旅行だったという。

 「こっちは野菜が安いですね。スイカなんて東京じゃ1個1500円ですよね。ところがこっちは1個800円なんです。だから、いっぺんに何個も買っていくから重いの何のって。YHの周りに大きな店がないからなんです。車で三沢や下田(向山の八戸寄り)まで行くんですよ。そこに売っている豆腐も面白いですね。チューブの中に入っているんです。確か『栄養豆腐』って言う名前の。日持ちするからいいですよ。味もツルッとしていて美味しい…」

 ヘルパーさんはYHで過ごした一ヶ月の思い出を話した。私も負けじと話す。小川原湖を遠くに見ると海も近い。反対の車窓にはもこっと一個だけ隆起した山が見える。これを地形図で見るとどうなるのだろうか。
 「今日は薄曇りで…」と天気状況の話題ついでに青森での天気予報の話が出た。
「こちらの天気予報って聞いていると面白いですね。弘前あたりを津軽地方、次に下北地方、野辺地周辺の上北、三沢、八戸周辺の三八地方。それを合わせて『下北三八上北』(しもきたさんぱちかみきた)とアナウンサーが言うんです。この部分だけ妙に早口になっていて、はじめて聞くとちょっと笑ってしまいますね…」
 「そうですね。愛媛の方は『東予、南予、中予』と言いますね。それから、青森は天気が変わりやすいですね。朝は晴れていたかと思うと、午後になって急に雲行きが悪くなる。逆もあります」

 野辺地を出れば下北半島が遠ざかってゆく。海は波も静かで、気分の良くなる車窓だ。浅虫あたりで帆立の貝殻の山を見る。このまま置いておけば、数万年後『貝塚発見 量から見て水産業が発達していた…』なんていうニュースが流れるのかもしれない。

 客車内にオルゴールが聞こえ、連絡列車のアナウンスが始まればもう青森。この旅のあいだ何回か来たが、到着のアナウンスを聞くたびに「ああ、終着駅に来たんだな」という気分にさせてくれる。となりのホームにはヘルパーさんの乗る快速『海峡81号』が止まっていた。車両はブルーの特急型客車14系で、連結部を見ると東京の尾久客車区所属の標記「東オク」と書いてある。列車は豪華にも11両つながれていた。上野からの急行『八甲田』の車両がそのまま快速になって函館まで延長運転してくれるのだ。バイクを運べる列車『MOTOトレイン』用の寝台車1両と荷物車2両がずっと奥の方に連結されていた。

 ここで、ヘルパーさんと別れ、駅に降りる。再び、2日目に訪れた八甲田丸とアスパムへ行ってみる。本当なら棟方志功記念館や博物館を覗いて行きたい所だがあいにく月曜日。どこの博物館も休館とあって断念した結果だ。
 このまま同じ場所にいても暇を持て余すと思っていたところ、先週約束した駅前のリンゴ屋のことを思い出し、さっそく行ってみることにした。確か、駅前市場の角の家だったはず。あったあった。
 「あ、どうも」と言うと、おばさんは私の顔を覚えていて「待ってたよ。まあ一個食べてみよ」と『津軽』を手際よくナイフで切ってくれる。先週もらった名刺を見せたので、心配はなさそうだ。それを食べているとき、リンゴ問屋のお爺さんがなつかしい木の箱を持ってきた。

 「ちょっと、いい時に来た。これ、今日取ったばかりこれは絶対うまい」
そう言って出されたこれも『津軽』なのだが、皮を拭くとこれまたつやのいいリンゴ。日の光がつやに当たってまぶしい。食べるとこれまた心地のいい歯ざわりと、さわやかな甘さが口中に広がる。少し値段が高かったのだが、とれたてを食えるのだから我慢してこれを箱詰めしてもらう。周りを見て傷のないものを選んで箱詰めしてくれる。

 「少し虫食っているけど、これは持っていきなよ。腐っているわけじゃないんだから。いいかい、リンゴは外見じゃない。味だ」とおばさんは力強く言って、その後今日取れた二個をスーパー袋に入れてくれた。「今包んだやつと、この青いのと比べてみな。青いのはうまくないから」とうまくないのを承知に、と言うよりはむしろ比較に、青いやつを一個包んだ。

 「じゃ、明日まで着くように送るから」と言うのを聞いて私は店を出た。

〜寝台特急「あけぼの」の一夜〜

 旅の終わりは何となく疲れる。夜行急行で帰れば周遊券だけで済むのだが、今回はちょっと趣向を変えて寝台列車に乗ろう、と思うのだった。

 青森から上野まで毎日運転している寝台特急は、北海道からの『北斗星』を含めると、『はくつる』『ゆうづる』『あけぼの』『鳥海』の七列車がある。
 一番速いのは『はくつる』。これは行きに乗った『津軽』と同じ車両(583系)だが、何と言っても三段式。窮屈すぎる。『ゆうづる』も同じ車両なのでいずれもパス。

 『鳥海』と『あけぼの』を比べてみる。『鳥海』は時間帯が本当にいいが、車両の内装が古く、いまどきベッドの色は通勤電車と同じ青。いくら時間帯が良くても内装が悪いのでは乗りたくない、と思わず贅沢を言う。『陸奥新報』の指定券案内を見たら当日でも空席ありの状態だった。

 それに比べ『あけぼの』は青森発が早すぎるが、人気があって当日は満席、向こう三日は残り少なしの状態である。すでに寝台は取ってあるのだが、予約状況は気になる。

 今年3月のダイヤ改正で『あけぼの』に個室寝台がついた。A個室とB個室がそれぞれ連結され、一度は乗ってみたいと思っていた。そこにちょうど青森に行くいい機会ができたので、B個室の寝台を取ることにした。個室と言っても値段はB寝台と同じなので、周りを気にして寝るのよりこちらの方がいい。最後の日くらい一人でゆっくり寝てみたいと思ったのだ。

 1ヶ月前の10時前に指定券売り場に並んで、機械を操作するのをじっと見たのを思い出した。係員がポンポンとピンを差し込んだり、キーを叩いたりしたあと『発信』のキーを押す。機械のYES/NOランプをじっと見つめてなりゆきを見る。緑のランプ、YESである。切符を渡されたときは嬉しくて、一日中眺めていた。

 今日、ついに乗る日が来た。17時頃、青森駅3番線ホームで荷物を置いて待っていると銀箱を持った少年2人がカメラを用意して待機していた。鉄道ファンだ。
 やがて、重低音のディーゼル発電機音を響かせながら『あけぼの』が入線してきた。キッキッキッと控えめなブレーキを掛けながら止まる。

 『ソロ』と書かれたB寝台個室車両の車体には金帯が三本入って、周りのB寝台の白帯よりも豪華さを演出している。車内は中央に狭い通路があり、その両脇に個室が並んでいるという、今までのB個室とかなり違う内装だ。

〜開かずの部屋と夕日〜

 今日の部屋は4号車8番。階段を上がった2階が個室。雰囲気は屋根裏部屋。しかし、何か狭い。荷物を置いたら足を置くところがなくなってしまった。なるほど、あぐらをかくか、足を延ばせ、という事だろう。車内には、折り畳みテーブル、音楽装置、換気扇スイッチ、室内灯スイッチ、赤いカバーで覆われた非常通報スイッチなどがある。いつしかテレビ番組で見たカプセルホテルを連想する。

 扉にはドアスコープもついている。さらにこの個室は外から鍵を掛けることもできる。キーボードで暗証番号を設定でき、スパイになったような気分、と思うがこれからが大変。ドアを閉めて、鍵を掛ける前にカメラを持っていこうとしたらドアが開かない。番号キーにはいっさい手を触れていない。もし開かなかったら荷物は、おばさんから貰ったリンゴは、それよりも今日の寝る場所はどうなると考えると冷汗がタラッと出た。

 急いでA寝台の車掌に鍵が何もしていないのに締まってしまった、と言って、暗証を解除する番号でもあるのかしらと見ていたら、車掌は鍵をガチャガチャとやって簡単に開けた。番号キーの下にこういう事が起こるために鍵穴が付いていたのだ。

 5日間いた青森に別れを告げるがごとく、ベルが鳴り、17時36分、『あけぼの』は静かにホームを離れた。大きく右カーブを曲がるともう奥羽本線のレールを踏んでいた。
 音楽装置にスイッチを入れると線路の刻みに合ったBGMが流れている。しばらく耳を傾けていると、曲がピタッと止まりオルゴールが鳴る。ここで流れてきたアナウンス。

 「この列車は奥羽線回りの上野行きの寝台特急あけぼの号でごぜえます。じゅうななずさんずうろっぷんの発車です…」
とズーズー弁の車掌。当分は車内に東北の雰囲気が残りそうだ。

 外は夕日が沈みかける寸前。室内の照明を消して夕日が沈むのを眺める。
 秋田には20時過ぎに到着した。停車が長いのでホームに降りてみると、何か見送られている風景が。まさか、こんな時期に人事異動ということはないだろう。果たして何だろうか。でも拍手喝采でホームは盛り上がっていた。ここまで来ると車内も人気が多くなってくる。『あけぼの』が秋田地区に合わせたダイヤになっているからだ。客層はスーツを着たビジネスマンが多い。上野到着の時間が朝食を済ませて会社へ行くのにいい時間帯なのだ。寝台が満席になるのもよくわかる。

 ここで車内を探検。A個室『シングルDX』を覗くと5歳くらいの娘を連れた、若いお母さんが一緒になってはしゃいでいたので、ちょっと感想を聞いてみた。
「いいわねぇこれ。ほら見てごらん。洗面台もあるし、ビデオもあるわ。私達は大曲(おおまがり)から乗ったの。これから東京に帰るの。ほら、子供がいるでしょ、だから個室取ったの。ちょっと高かったけど奮発して。いいわぁこれ。寝るのがもったいないわ。一晩中騒いでいようかしら」

 嬉しいのが顔から言葉からでも感じられる。子供も、ビデオを見ていたり、スイッチに触ってみたりして感激していたようだ。車内は木目調のシックな造りで落ち着いている。見せていただいたお礼にB個室『ソロ』も見せて意見を聞いてみる。

「結構狭いのね。ほんと、カプセルホテルみたい。えっ、B寝台と同じ。だったら個室の方がいいわね。でも、子供と寝るには狭すぎるわ。まあ、一人ならいいかもね」
 うん、多少狭いけど一人でいられるのならこれはいい。と言うことだ。

 この列車、13時間も走っているのにもかかわらず、シャワー室や自動販売機がないのは少し残念なところ。金沢へ行く『北陸』は8時間近くも走っていなくてもシャワー室がある。寝る前には汗をとりたい。ベタベタして気持ち悪いのだ。シャワー室の取り付けと自動販売機の設置を望みたい。

 時間も22時を過ぎ、貴重品に注意するようにとの放送が流れた。私も寝る準備をしよう。この個室はベッドがスペースの関係上、部分的にはね上げてある。マットを乗せるために木の折り畳み板を入口から階段にかけてふたをするように広げ、マットを置くと幅70センチの寝台になりなかなかゆったりする。敷布を広げ、枕を起き、毛布を敷けば立派な寝台になる。そして『JR』のマークがプリントされた浴衣を着ればもう寝る準備は終了。ただ、寝台を出すと着替えるスペースがなくなる。

 考えてみれば、この部屋は二階なのでレールの音が静かだ。揺れもそれほど感じない。適度に『ゴトゴトゴトン』と響くのがいい。
 明かりを消し、曲を小さく掛けながら曲面窓から見える星を眺めていたら、気分のいい揺れも手伝ってたちまち目が閉じてくる。
 米沢付近が新幹線工事のため通れないので、新庄から東北線の小牛田を結ぶ、陸羽東線を通る。この線には鳴子温泉があるから利用者は多いと思うが、ローカル線である。しかし、ここを通るのは夜中。私はいっさい気付かなかった。

〜せまる終着駅…〜

 なぜかシーンとしているので起きてみると窓から水銀灯の光が入ってきてまぶしい。電車が留置している。列車は小牛田に停車していた。陸羽東線は電化されていないので、列車はディーゼル機関車に引っ張られていた。ここで機関車を交換して再び走り出す。
 ガクンとして動き出したのを確認すると再び眠りに入った。この間、仙台、福島、黒磯を通り、黒磯でもう一度機関車を交換する。『津軽』号の時と同じく、電気の方式が変わるためだ。

 目が覚めたのは宇都宮到着前の四時半頃。いや、列車でこれほど眠ったのは初めてだ。疲れているせいでもあるが、個室で誰にも気にせずに寝られたからだろう。
 洗面所はお湯の温度が調節できるし、今までのように水栓が手を放すと戻るタイプではなく、センサー式なので、猫のように片手で顔を洗わずに済む。トイレはA個室『シングルDX』を使う。洋式で便座がくるくる回るので面白い。ただ、水を流し終わったあとに『ガガガーッ』と不気味な音がする。

 私の個室の暗証キーは再び故障した。洗面のとき、暗証を入れたらうまく掛かり、もう一度操作したらカチャッと鍵は開いたので、これで安心と鍵を掛けたのに、開けるときになって、数字を押しても『ピッピッ』とも言わないし、デジタル表示もされない。ちょうど通り掛かった車掌さんに開けてもらう。車掌さんも他の個室でも故障があるらしく、私の個室の鍵の掛け具合をテストして帰った。多分、次回からは採用されないだろう。

 寝台を片づけていると宇都宮を発車、終着まで残り2時間を切った。こちらは曇りの空で日の出を見ることができなく残念に思う。次第に田園風景に住宅地が混じるようになれば終着も近い。小山まで来ると、通勤客がぱらぱらみえてくる。ホームの柱についている『仙台・青森方面』の文字が遠ざかっていく。利根川を渡り、家やアパートの数が増えてくればもう埼玉県内である。旅も間もなく終わりだ。

 『おはようございます、あと19分で大宮です…高崎線の前橋行きは…』と放送が始まり、連絡列車の案内をする。『京浜東北線、浦和、川口方面…』の言葉が異様に懐かしく感じる。
 乗車記念のオレンジカードの販売放送が流れ、スピードが落ちるとこの列車最後の放送が始まった。
「道中、お気をつけになりまして、またのご旅行、そしてビジネスに当JR東日本をご利用になりますようお願い致します。今日は寝台特急『あけぼの』号をご利用いただきましてありがとうございました。車掌は秋田車掌区の…」と普通列車に乗っていては聞けない放送がまたいい。締めくくりのオルゴールが鳴ればジーンときてしまう。
 6時29分ちょうど、1分も遅れずに上野に着いたのはさすがである。同じ12時間列車に乗っていても『津軽』より、『あけぼの』の方がずっと居心地がよかったのはやっぱり急行と特急の違いだろうか。

 いつもの水色の京浜東北線に乗れば、旅の雰囲気も消え去ろうとしていた。赤羽付近で後に青森を出た急行『八甲田』号とすれ違った。
 7時すぎ、無事帰宅。

終章・旅から帰って

 自宅に着いて三時間後、リンゴの段ボール箱も着いた。荷物も人も速さはさして変わらないと言うことがわかる。
 冷たく冷やしたリンゴを食べながら、今回の旅について総括してみる。
 全体的に見て『都市と田舎』をちょうど半々に回ったといえる。予定は無理をしないように立てたはずてある。もう少し、弘前の滞在時間を多く取りたかった。そうすれば、津軽鉄道に乗って太宰治の『斜陽館』にも行けたし、市内ももっと見られた。結構、弘前は見ものが多かった。

 残念だったのが、せっかく七戸まで来たにもかかわらず南部縦貫鉄道に乗れなかったこと。元祖、レールバスとあってぜひ乗ってみたかったのに、バス停から駅までの道のりが分からないという理由から、断念してしまったことが悔やんでならない。

 もう一つ、一日時間があれば下北半島のむつまで行っても良かったと思う。こちらの方が青森市内より帆立が安いのだ。とは言っても下北半島を回るまで手が出ない。ここを回ると今回の旅の日数に匹敵するくらいの日にちが掛かるのだ。また、次に回すとする。

 八戸は二人で行ったから、いろいろな体験ができたと思う。私はグループより、一人の方が気ままでいいのだが、二人、三人でなければ感じることのできない事もあるということを感じる。その点、YHのような宿だと知り合った人と日替わりで旅をする事ができるから、これを利用しなければ勿体ない。

 とにかく、青森は広いから、一度に回れと言われても無理である。滞在型旅行の利点を生かして今後回るところを決めてみたい。
 この後、Iさんから礼文島の風景印付きの絵はがきが来たことを付け加えておく。
 これで五回目、青森の旅を締めくくることにする。

1991年8月 自宅にて
(この文書は、1996年と2000年に一部加筆訂正を行った。)

−解説−
 高校1年の夏に出かけた青森。5回目のひとり旅だった。夜行急行「津軽」の自由席で出会った少年は今、どうしているのだろうか。八戸を一緒に回ったIさんもどうしているのだろうか。いまでも気になる。

 旅で知り合った人というのは余程のことでない限り、二度と出会うことはない。その日知り合った人は最初で最後の出会いなのである。「一期一会」などということばは、旅の道中における出会いにこそふさわしいのかもしれない。私は旅に出ることで、さまざまな人たちとその場一度きりの出会いというものを経験した。しかし、一度出会った人と別れるときの、胸を締め付けるようなつらさや哀しさは、まだこのときには分からなかったような気がする。
〜終〜


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