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別冊看板 第6集
追跡レポート・あの看板はいま…
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「月刊看板」で紹介した看板の掲示場所はいま、どのように変化したのか追跡してみました。

▼田中駅前(左:1999年、右:1989年) / 材質:琺瑯鉄板

田中駅前1999田中駅前1989

 1989年春、私は信越本線の列車で田中駅に降り立った。隣の大屋駅との間に北国街道があり、その宿場町で名高い海野宿(うんのしゅく)を歩くためであった。

 田中駅の改札をくぐり初めて見たのがこの琺瑯看板であった(写真の右)。少しくすんだ赤地に白で「ムヒ」と書かれたロゴタイプを見て私は迷わずシャッターを切った。それから7年後の1996年に「月刊看板」を開設し、7月号作品を紹介した。

 駅を訪れ、ムヒ看板をフィルムに収めてから10年。信州の交通網は大きく変化した。発車時に特徴のあるモーター音を発する長野新幹線「あさま」号は、東京からわずか一時間半で長野へ行ってしまう。以前ならば、上野から高崎までしか行けない時間だ。だが、それと同時に碓氷峠の急坂を電気機関車に押されて登る風景は昔話になってしまった。軽井沢からの信越線も「しなの鉄道」という会社が経営する路線になった。

 このような時代の変化を感じつつ、再び田中駅を下車した私を迎えたのがこの風景である(写真の左)。駅前はみごとに区画整理の真っ只中であった。黄色いフェンスに沿って敷かれたゴムシートの通路を歩きながら、「何かが足りない」と考えたが、その答えはすぐに出た。ムヒの看板と木造の民家は跡形もなく消えていた。

 ちょうど左写真の白い円内にその民家と看板は存在していた。信越本線という名前の路線に、何十本もの特急や急行が行き来していた頃から、何人の人たちに「虫さされ、かゆみにはムヒ」というメッセージを伝えていたのだろうか。

 また一つの琺瑯看板が消えた。これも時代の変化というものなのだろうか。

取材・調査・撮影1999.4

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