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 哀愁漂う風景

2000年2月3日

 ふと「哀愁漂う風景」というものを考えてみることにしました。変化し続ける世間の時間軸や空間軸に置いていかれた物体や現象、そしてそれらが有機的に結びつくことで構成されるそれらの風景を目にしたとき、私たちは心の深奥に底知れぬ哀しさを覚えるときがあります。

 今まで、当STIJ Projectでは、このような「哀愁漂う風景」の代表的存在として、ホーロー看板や以前は確かにあったが現存しない飲料などを取り上げてきました。また他のサイトでも、廃虚、廃線跡を取り上げるものが数多くあります。

 しかし、今回はいわゆる「メジャー路線」から外れて、「なぜこんなものが哀愁漂う風景なのか」という疑問が生じそうな物件を取り上げてみることにしました。そして、なぜこれが哀愁漂うのか、という疑問に対する個人的な意見を述べていきたいと思います。

●薬局の店頭に置いてある、10円玉を入れると動く「エスエス製薬・うさぎのピョンちゃん」。

 同類項に「佐藤製薬・ゾウのサトちゃん」があります。最近では関連のキャラクターグッズも販売されるようになり、かなりメジャーになってしまったので、哀愁的価値はそれほど高くなくなりました。が、塗装の剥げたピョンちゃんには、それなりの哀愁が漂います。これらのオブジェは、薬局という独特の権威性を持った店舗に少しでも親近感を持たせようと設置されたのかもしれませんが、存在意義が明確でないまま設置され、困惑する薬局店主とのギャップを埋められないまま色褪せていくという点で哀愁を感じるわけです。簡単にいえば、「場違い」です。

 薬局に幼児用の電動遊具がある理由も明確ではないと思われます。子供連れで薬局に行った親が、「明るい家族計画」や「多い日も安心」などを購入しやすいように、という説には多少リアリティがあります。

●地方の公園や動物園で見かける、飛行機形の電動遊具

 直径20〜40メートルの円周をただひたすらグルグル回る乗り物。アクションも少なく、絶叫マシーンから4世代くらい前の古典的遊具です。ごていねいにも垂直尾翼に世界の国旗が描かれていたりします。「回していないと機械が傷む」と乗客ゼロで回転させるその姿から、日本の少子化を垣間見ることができると考えられます。開店休業中に等しい公園・動物園内遊園地は今後、姿を消す運命にありそうです。ベビーブームの遺産ともいえます。

●民家のガラス窓に貼ってある花柄シール

 筆者はこれを見ると「貧乏臭さの極致」を感じずにはいられません。何が楽しくて、いや哀しくてガラス窓にこんなシールを貼らなければならないのでしょうか。黒く太い輪郭に原色黄色のサイケデリックな色彩。おそらくこれらのシールは1970年代に普及したものと考えられます。

 鳥がガラス窓めがけてぶち当たるのを防ぐために貼っている、という話を聞いたことがあるのですが、せっかくの家の価値が20%は下がったように見えてしまいます。家屋の売却を検討されている方は剥がしておく方が賢明です。透明であるべきガラス窓に敢えてシールを貼る論理は筆者には理解しがたいものがあります。玄関扉そばのガラス窓に貼る「ステンドグラス調ステッカー」も同類項です。

●駅前商店街の洋服店のショウウィンドウに佇むマネキン人形

 マネキン人形というのはじつに精巧に作られていて、その時代の平均的な顔や体型、そして髪型を反映しています。しかし、決して安価とはいえないマネキン人形をそうそう取り替えることのできない商店もあります。ターミナル駅から2駅くらい隣にある商店街では、時代遅れなマネキン人形がショウウィンドウに立って通行人を眺めています。

 「わたし、ここに立ってから20年くらい経つんだけど、わたしもああいう髪型をしてみたいわね。顔はまだ若いと思ってるわ。でもどうしてオバサン向けの服しか着せてもらえないんだろう…」

 そんな声がマネキン人形から聞こえてきそうですが、それは消費者行動の時間的変化に置き去りにされた駅前商店街の悲痛の叫びともいえるでしょうか。

●JR急行形車両の、テーブルの下についているセンヌキ

 かつて全国各地に走っていた急行形車両。電車、ディーゼルにかかわらず、ボックスシートの窓下には台形のテーブルと「センヌキ」がありました。
「フタのカドをひつかけて ビンを上にこじる」の説明と簡単なイラストで丁寧に機能を説明しているこの「センヌキ」は、瓶飲料全盛期に開発された車両がゆえの設備ともいえます。駅構内の売店で弁当、冷凍みかん、コーラ6本セットなどを買い込み、談笑しながら長い移動時間を楽しむ風景が想像されます。

 しかし、1970年代に缶飲料が普及し始めると、その存在意義もなくなり、かといって撤去する費用もなかった当時の国鉄は「センヌキ」を廃車直前まで残したままにしていました。決して使われることがないにもかかわらず存在しているところに哀愁が伝わってくるかと思います。

 現在、廃車や車内アコモデーション改良によって、「センヌキ」の姿はほとんど見られなくなりました。

●同類に、灰皿に刻印された「JNR(国鉄)」のロゴマーク。

 1987年、国鉄からJRに変わっても、車内のいたるところで「国鉄の名残り」を見ることができました。天井の扇風機、寝台の浴衣、そしてこの灰皿です。数年前、「普通列車はすべて禁煙」にした会社がありましたが、手っ取り早く「JNR灰皿」を撤去したかったのかもしれません。

●客足の少ないパチンコ店で見かける500円札両替機

 変造硬貨事件で脚光を浴びる500円硬貨が登場する1983年以前は、500円紙幣が造幣されていました。この頃の両替機が現役で働いているパチンコ店が全国に何百件とありますが、えてしてこのタイプの両替機がある店は出玉が悪いものです。出玉が悪い−客の入りが少ない−儲からない−設備投資ができない−さらに客の入りが悪くなる…の悪循環を繰り返しているわけです。ここにも時の流れから外れた物体が存在しています。

 しかし、このような店に限って、レアものパチンコ台が設置してあったりします。設備投資が及ばなかったゆえに、古い台を騙し騙し使っているためです。一般チューリップ台はもちろん、「レッドライオン」(西陣)や「ブンブン丸(初代)」(平和)などのいわゆる「羽根もの」、「フィーバーパワフルV」(三共)など、撤去対象機種にリストアップされているデジタル台などを目にすることもあります。このような台を打つたびに、パチンコに熱中していた頃を思い出すと同時に、その思い出のほとんどが有り金全てをパチンコ台に吸い取られた記憶であることを知ったとき、またひとつ「心の中の哀愁漂う風景」が描かれていきます。

●田舎のドライブインで聞く、「フラッシュダンス・日本語ヴァージョン」や「摩天楼ブルース」など大映テレビ制作ドラマの主題歌

 1980年代中頃、フライトアテンダント(スチュワーデス)や高校ラグビー部を題材にしたドラマや、時のアイドルを徹底的にいじめ抜いて視聴者の共感を得ようとするドラマが放送されていました。バブルの頃、道徳的メッセージをエンベッドしても、「クサいセリフが見もの」と嘲笑の対象にしかならなかった脚本と、もはやギャグと化したこれらの主題歌にやり場のない哀しさを覚えずにはいられません。しかし、この主題歌を十数年経った現在でも何の疑いもなくラウドスピーカーで流してしまうという、田舎ドライブインの純情さ、いや世間の知らなさには哀愁を超えて、ドライブインに来店した客の方が羞恥心を感じます。

つぶれた駄菓子屋に残る「ビーボ」や「ベルミー」の自動販売機。しかも「当たりくじ抽選機能付き」

 小学校近くに1軒はあるといわれるつぶれた駄菓子屋。ひびの入ったモルタル壁面にコカコーラ、またはロッテチョコレートの色褪せた看板。長年の使用で劣化した縞模様のビニール製日よけ。二度と開くことのないねずみ色のシャッター。そして店舗横にある自動販売機。当然使用できない状態です。購入ボタンには旧価格「100円」の文字が見えます。小遣いの少ない当時の小学生にとって、「当たるともう一本」は魅力的なものでした。が、あのベルミーコーヒーの2本目に食指を動かす気にはならず、「ファンタが『当たりつき』だったらどんなにいいだろう…」という思い出にひたるには充分すぎる風景です。

●関東地区で日本テレビを視聴している時、平日の午前10時半〜11半頃に流れる「二木の菓子」CM。

 関東地方居住の方はおなじみのローカルCMのひとつ「二木の菓子」。「二木ゴルフ」の系列店ですが、「ゴルフ」のCMは過去に数パターンの変化があるにもかかわらず、「菓子」のCMは未だに1973年頃に撮影されたものを使用しています。

 「笑点」でおなじみの林家こん平が「二木二木仁木二木二木の菓子」と声を回しながら御徒町駅付近の俯瞰映像が映し出されます。御徒町のガード上には山手線と京浜東北線が見えますが、国電スタイルの車両103系(もちろん非ATC)である上に、屋根には冷房機器が積んでいないなど、時代を感じさせます。さらに、店内風景が映し出され、セロファン包装(現在ではアルミ包装)のポテトチップの袋が見えます。

 「昔も今も変わらない」というメッセージが、古びて細かな線が踊るCM映像の中に含まれているのでしょう。けれども、普通の会社員がこのCMを見るときはほとんど体調を崩し欠勤している時であり、自らの倦怠感とこのくたびれた映像が異様なほどにシンクロナイズし、底知れぬ惨めさを感じるがゆえに生じる哀愁だということができます。

 このページをお読みの皆さんも、皆さん自身が感じる「哀愁漂う風景」があるかと思います。この機会に、あなたにとっての「哀愁漂う風景」となぜそう感じるのか、コメントを弊サイトまでお寄せくだされば幸いです。

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